現在でも現役活躍中の大磯屋うどん店の看板です。
大正15年8月に初代磯貝市太郎が創業した頃からの大切な看板です。
市太郎がうどん店を始めるまでは磯貝家は農家として4代続いておりました。
その小麦を挽いて小麦粉を作り、製麺してうどんを作る所が
大磯屋製麺所の起源です。
創業当時は大磯屋うどん店だけでなく、昔のお豆腐屋さんの様に、
町のいたる所に製麺しているうどん屋さんがあったようです。
大磯屋うどん店も近所の人が丼やボウルを持ち帰りの器として持参し、
お釜で茹で上げたうどんを購入するスタイルであったと聞いております。
現在の香川県さぬきうどんに近いものがありますね。
また、三河の大浜地区(碧南市南部)では年忌うどん、法事うどんといって
法事の締めに碧南市の特産人参や鶏肉、しいたけ、里芋、油揚げを
煮込んで白玉うどんにかけて食べるのが主流でした。
昔は自宅やお寺で年忌等を行っていることが多かったのですが、
準備、片付けが大変で女性の負担が大きいですよね。
現在はセレモニーホールで行い、飲食店で会食を済ませる事が増えているので、
地元でも若い人は法事うどん知っている人少ないです。
2代目の志津子(賢一の祖母)は先見の明があったようで、
「うどんだけでは将来分からないから、新商品を」
という事で色んな所で情報を集めて焼そばが良いんじゃないかと言うことで
(情報を集めると言ってもネットも無い時代なので、人に聞いたり、相談したり)
思考錯誤の結果、現在の熟成焼そばの原型を昭和30年頃に開発しました。
この志津子おばあちゃんはハイカラで、行動力のある人でした。
ダイハツミゼット(昭和32~47年 軽自動車規格の三輪トラック)が発売されると
それをみた志津子は
「この車なら荷台にうどんや焼そばを積んで配達出来る!」
と昔は碧南にあったらしい自動車教習所に行って免許を取得し、
ミゼットを購入し、八百屋さんを配達して回ったようです。
今では冷蔵トラックに食品を積んで配達は当たり前のスタイルですが、
当時(昭和30年代)女性で三輪トラックを運転し、
配達する人は少なかったと思います。おばあちゃんカッコいい!
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